simple space(シンプルスペース)/ 客観性をもって、モノごとを単純に捉える理論的な概念
いま、モノコトそして情報がつぎつぎと溢れるなか、惑わされず自分らしい生き方を選ぶことは難しい。
利便性を求めるがあまりいきすぎた消費社会によって、当然のごとく目の前にそこそこいいモノが並んでいるから。選びとっているのか、つかまされているのか。上澄みをさらうように日々を過ごし、隣人が抱える悩みにも人との関係性にも関心を持てなくなっているのではないか。身勝手な自己意識までも麻痺してきていることにも気付かない。もしくは見えない憶測にとらわれすぎて考えすぎ、身動きが取れなくなることも。そうした現代社会だからこそ、新たな生き方のヒントがあるのではと思う。
人が生きていく上で何が本当に大切で、何が欠かせないのか。根本的な基となるコトや原点とは何かを考え模索する。その「出発点」を何より私は大事にしている。そこには余分や複雑さはなくただ単純な「存在」で本来あるべき姿だと思うから。そうすると今まで見えなかったモノコトがササーっと広がったり、固定概念が取り払われ視界がスキッと晴れたり。それこそはじめて見る景色のように新たな発見を体感できる。こうした、日常の、創作の、様々な場面でめぐる思考を整理、構築することで「simple space(シンプルスペース)=客観性をもって単純にモノゴトを捉える」という論理的概念にたどり着いた。
ただ平面に絵を描いているのではない。社会テーマを二次元的な空間に構築し、それを「simple space(シンプルスペース)」によって平面化することで作品を創造している。説明しすぎず余計な飾りを削ぎ落とした結果、その平面上に場所を特定しない空間が立ち上がり、平面上と実世界を緩やかにつなぐアソビのようなものが生まれる。それら様々な紙面、プロダクト、デジタル、アニメーション等への展開は、見る人の感性に触れ思考や直感といった想像力を引き出すことが可能だと信じている。そして、創作を通して「simple space(シンプルスペース)」の特長によるまだ見ぬ発見や、新たな体験、考え方の提示を日々試みている。
いつも思う。自分らしさを知るには、人間であり限りある命の生物であること、その生命は自然に育まれたものであること、そして自然とは大地や海でありこの地球にあること。そうした地球や自然があってはじめて、コトやモノが起こり、人間及び自分が存在する。自分らしさを知ることができる。この変えようもない事実をわかっているけど、自身の生活の中で自然や地球から生まれた生命であると自認しながら暮らす人はどのくらいいるだろう。目の前を行き交うコトやモノに捉われ何が自分らしいのかを見失いそうになる。それに抗うべく「客観性をもって単純にモノゴトを捉える」。つまりは大局的に自然を知り地球の大きさを感じることではじめて自分らしさが存在するということ。「simple space(シンプルスペース)」とはその思考的概念でもあるのだ。
ー HIBIKI YUTO